否定的な表現で願望を表わす人の心理 

「どうせ私なんて、、、」というようなことを思ったり、言ったりしたことがあると思います。

例えば、「どうせやってくれないでしょう、、」という言葉の奥にある意味は、「今すぐやって欲しい」です。

「どうせ恋人なんかできない」「どうせモテない」なんていう諦めたような言葉も、本音は「モテたい、恋人が欲しい」と言外に言っています。

「いっても無駄でしょうけど、、、」は「私のいうことを聴いてほしい」という強い願望を表しています。

願望を表す否定的な言葉は、「どうせ」のほかにもたくさんあります。

例えば、電話でのカウンセリングで「先生、お忙しいのにこんな話をお聞かせしてしまってすいません」というようなことをおっしゃる方がいます。
この人の言わんとしていることは「「忙しいあなたの貴重な時間を割いてでもいいと思うほど、私の存在を大事に扱って欲しい!」という切実な訴えです。

こんな時にカウンセラーは「ちょうど話し相手が欲しかったところです。私の方がありがたかったです。」などと答えて更にお話をお聴きする気持ちを伝えします。

すると、受容されたことから「自分は価値ある存在」と感じて、電話でのお話はすぐに終わることになります。

「どうせ私なんて、、、」という言葉の裏にも、別の思いが隠されています。

例えば、失敗したり、うまくいかなかったりした時、予め自身の価値を下げたり、期待を下げることで、責任を軽くしたり傷つかずに済むようにしたいという思い。

 

自己否定

「どうせ私なんか、、、」という言葉の裏にも、別の思いが隠されています。

 

また、「どうせ私なんて、、、」と言って、「そんなことないよ」「あなたは素晴らしいよ」という返事が返ってきたら、安心や共感が得られることになります。

時には、努力しなくてもいい理由を作るためやチャレンジする必要をなくすために、自分を否定するような言い方をします。

このような否定的な表現で願望を表わす人たちは、「私はできない、劣っている」というような間違った思い込みをしている場合が多いです。

その思い込みが行動を委縮し、内に閉じこもってしまい「どうせ私なんか、、」を増長させます。

「どうせ、、」が口癖になってしまっている人は、「どうせ…」と思ったときに、その言葉を紙に書き出す。

その横に、「本当にそうか?」「他にどんな可能性があるか?」と書いてみることで、思考のクセに気づくこと可能性があります。

自分だけで解決できない時は、どのような「どうせ、、」に支配されているかを、カウンセラーに話してみるといいでしょう。

 

 

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☆・・・気まぐれエッセー・・・☆

 

私は毎朝250mlの水を飲み、ストレッチをすることが習慣になっています。
ストレッチしながら、YouTubeで「世界の秘境シリーズ」とか「世界大自然紀行」「生き物世界紀行」などのドキュメンタリーを見るのが好きです。

20年とか30年前の動画になりますが、スクリーン上では、あたかも、今の状況が映し出されているように見えます。

既に亡くなられた大俳優の緒形拳さんがたどるシルクロードの旅を見ると、ウィウグル地区の人々も、とてもおおらかに大自然の中に生活しています。

 

昔の画像を見て思うこと

大俳優の緒形拳さんがたどる「シルクロードの旅」で見える20~30年前の少数民族の笑顔

 

今、ウィウグル地区の人々は、人権無視の中国の圧政に苦しんでいます。
昔の動画のように、経済的には貧しくても心の豊かな笑顔はすでに消えているのではないかと心配します。

中国で冬季オリンピックが開催されましたが、臓器販売のようなことをしている疑いのある中国に対して、カナダは国としの代表団は送ることはしませんでした。

私は、上海生まれの中国女性とVancouverで知り合いました。
両親は中国人ですが、幸いにも日本に帰化でき、彼女は日本の大学を卒業して日本語もペラペラです。

日本人の男性と結婚し、その旦那様の仕事の関係でVancouverに住むことになったそうです。

彼女曰く、「上海に行って昔の友人に会いたいとは思わない。もう皆、お金お金で、、、、、。昔は貧しかったけど助け合っていたし、温かい人と人のつながりがあった」と。

同じ20年前でも、1990年の20年前と、今から20年前では、中国もロシアもアフリカも変わり方の激しさは比べようもありません。

昔のドキュメンタリーに映し出される人々の笑顔や美しい自然が少しでも今の世界に残されていますようにと祈らずにはいられません。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。
板垣多惠子